ভারী তুষার অ্যালার্ম

জাতীয় তুষার পূর্বাভাস、অস্বাভাবিকভাবে, ভারী তুষার সতর্কতা ক্যান্টো অঞ্চল জুড়ে জারি করা হয়।、একটি অ্যালার্ম জারি করা হয়েছে。পূর্ব সাইতামা প্রদেশে (22) একটি ভারী তুষার সতর্কতা জারি করা হয়েছে:20 এটি এখনও জারি করা হচ্ছে)。একই সময়ে, বজ্রপাত সতর্কতা、তুষার মনোযোগ দিন、কাজিয়ুকি সম্পর্কে একটি সতর্কতাও রয়েছে。আমি যখন বাইরে গিয়েছিলাম তখন এটি প্রায় 5 সেন্টিমিটার তুষার ছিল।。আমি ভেবেছিলাম এটি বন্ধ হয়ে গেছে、মনে হচ্ছে এটি এখনও একটু বৃষ্টি হচ্ছে。

তুষার নিজেই、আমি যদিও বরফের দৃশ্যাবলী পছন্দ করি、এটি কাজ এবং ব্যবসায়ের জন্য অসুবিধে。যে কোনও কিছুর চেয়ে বেশি、এখানে তুষার প্রায় বৃষ্টির মতো、ভেজা ভেজা。এবং এটি হিমশীতল、কাপাকা হয়ে উঠুন、বাড়িটি ব্যস্ত তাই এটি সহজেই গলে না。উত্তরে তুষারের পরিমাণ প্রচুর、এটি এখনও জীবনের বোঝা、তুষার যা কেবল এটি বন্ধ করে ভেজা হবে না、এটিও একটি tradition তিহ্য。ভেজা তুষার জন্য、দুর্ভাগ্যক্রমে, আমি এই ধরণের জিনিস অনুভব করি না。

春は廻る

「桜とメリーゴーランド」 水彩

YouTubeに意識的に時間と体力を注ぐようになってまる1年半が過ぎましたその前の約一年間は YouTube 自体にほとんど興味もなくあとできっと必要になるからと言われたことと急いで iPadに慣れる必要があったのでiPad で絵を描きそのプロセスを簡単な動画にしてアップロードするという練習だけで過ぎていきました

「普通の動画」を作れるようになろうと「意識的になった」この1年半の間に視聴回数は3000回から60000回へチャンネル登録者数は30人くらいから600人以上まで約20倍になりました始めた頃のわたしなら「凄い」と喜べた数字ですでも 現実的にはこれは「あなたはYouTubeに向いていません」という宣告にも等しい数字なんだそうです確かに18ヶ月かけて20倍じゃ単純にやった分しか増えてないってことですもんね人が人を呼ぶいわゆる加速度的なカーブじゃないとダメってことです

YouTubeで「成功」というためにはわたしの場合現在のさらに100~200倍の視聴回数・登録者数が必要なんだそうです!それがどれだけ距離感のある数字かわたしにも今はだんだん分かってきました
 趣味だと割り切れれば別に構わないことですが教室的に何か役に立たないかなあとおぼろげに考えていたわたしは考え方を変えなければならないことになりました時間と体力の消費が大き過ぎるのです絵を描く楽しさを伝えたいなんて思っていたのにそのためにわたし自身が絵を描く時間を失ない眼を悪くし(これは加齢のせいか)時どき鬱に陥ったりしているのですから文字通りの本末転倒です

せっかく始めたYouTubeをやめたらいいんでしょうかまだちょっと勿体ない気もします「成功」なんてもともとできるとは思っていなかったけれどちょっと「役に立つ」くらいはまだ生かせる余地があるんじゃないかなんて未練がましくさらに深みにはまりそうな気もしますし
 しばらく気分転換が必要かもしれません暦の上ではまだ冬ですがもう数日で「立春」です先ずは桜の花でも描いて自分を楽しませてやろうと思っているところです

ちゃんねるが合わない

12日ぶりにビデオをアップしましたお時間あればご覧いただきたいと思いますブログも8日ぶりです記事を書くこともあったし体調が悪かったわけでもなかったのですがアップして読んでもらいたいという気持がまったく起きなかったんです

たぶん多くの日本人(90%位?)が持っているようなごく軽い鬱をわたしも持っていると思うんですそれが時々顔を出すんでしょう。তারপরে、なにをやっても無駄だという気持になってやりかけのことも投げ出したくなってしまうその一方で「軽い」というのはいい音楽を聴いたりいい絵を見たりするとすぐに元気が出てきて「もう少しだけ先へ進めようそれから止めよう」とも思えるからです

昨年いっぱいで作品発表のほとんどの場から身を引きました大きく見るとわたしはどんどん「社会」から後じさりしているようです社会の中へ出ていくこと社会と関わっていなくては生きていくことが難しいように世の中は作られているのですがなるべくなら一人で居たいという性格は子どもの頃からあまり変わらないようです。তবে,、一人で畑を作り魚でも釣って自給自足するほどの知識も能力もなく単なる願望にすぎないので本当に一人で生きていくこともできません

現在は絵画教室がありそれがなんとか社会とつながる接点です絵を描かない興味のない人たちと接点を持つことがほとんどありません社会との絵以外での接点を広げるような努力はまったくしてこなかった(絵でさえも積極的ではなかった)。সেই অর্থে、わたしは社会的「不適合」者だと自分を位置づけていますたぶん「不適格」ではないと思うけれど繋ぐことが上手にできないタイプなんでしょうね(「絆」なんて言葉も嫌いだし)
 決して人間嫌いではないけれど社交好きではないファーブルやシートンが好きなのはそういうところがああるからかもしれません。কিন্তু、日本ではそういう人が増えているんじゃないでしょうか。অন্য কথায়、一方でSNSなどで人とのつながりを求めつつ一方でそれぞれが一人になりたがっているそのジレンマの中で誰もが「軽い鬱」を持っている。অন্য কথায়、わたしのような人はごく普通だと言っているわけですけど