"Günün sonrakı həyat" hekayəsi

   窓からの眺め ペンスケッチ

あの世からついさっき還ってきました文字通りの「生還」です「いつ死んでもいい」とか「早く死にたい」などと何度も繰り返し言葉にしてきたがこれからはちょっと慎もうゾッとするような怖ろしい世界をチラッと覗いてしまったから

「あの世」へ実際に行ってきたわけではない。I、入り口付近をチラッと眺めてきただけだから「生還」などとたいそうな言葉を使うのも本当はおこがましいが実感としてはそういうものが確かにあった

yəni、わたしたちの棲む家々からほんのわずかの距離のところにありいやむしろ家々のあいだにあり多くの人々が足繫く通う場所の中にもあるそして誰にも簡単に見分けがつくにも拘らず多くの人はそれに気づかないふりをしているらしいそこでは人は既に立ってなどいないほぼ全員が仰向けに横たわり静かに息をしている日に何度か起き上がってはどこからか運ばれてくる飯をそそくさと食い食ってはすぐまた仰向けに横たわるそこは気づかぬほどゆっくりと動くベルトコンベヤーになっていて何日か何週間か何か月後にはもう誰の手も届かない引き返すことのできない「あの世」への動脈になっている

そこから振り返って見た「この世」は今日は午前中雪が舞ったりする荒れた天候だった傘を差し風に抵抗して歩くには脚や腰の悪い人には辛いかも知れないあの世の恐るべき平穏さに比べれば。lakin、それが生きているということだ痛いことも苦い思いも様々な矛盾もそれがまさしく生きていることのように見えた
 ほんの入り口に入ったところから「この世」を振り返って見た「土壇場」のスケッチを掲げた

Heç nə edə bilmədiyiniz gün

題名未定  ミクストメディア
「病院からの眺め」 ペンスケッチ

今日は何も手につかない。Daha doğrusu、病院のことだけで一日が終わってしまいそうだただの「検査」なのだが慣れてないせいで大きなプレッシャーがかかりそれ以外のことがほぼできない

絵を描くことができないのはまあ仕方ないとしても本を読むとか何かアイデアを考えるとかできそうなものだしその準備もしてきたのにどれも手につかない落ち着かない

Qaçışçı、Gəzintiçi、İstirahət edən insanlar

   モデルスケッチ 水彩

今日は数日ぶりに暖かく午後三時過ぎにウオーキングに行ってみた少し急いで歩くと汗をかくほど暖かったせいかランニングしている人も何人か見た介護施設の入所者と施設の職員と思われる人も何人か連れだって歩いていた

走る人を見るとわたしは羨ましく思う休む人は歩くわたしを羨ましく思うかもしれない寝たきりの人は休み休み歩く人を羨ましく思うかもしれない寝たきりの人は不幸かと言えばそんなこともない人それぞれに価値観が違いそこに何かを見出せるか見いだせないかが大事なのかもしれない