
実家にいる弟から封書が届いた。Ah、例の書類が出来たのだな、と何気なく表を見ると宛名が息子の名前になっている。なんだろ?
弟の簡単な手紙とともに一枚の葉書きが入っていた、と見せてくれたのは、息子が小学校4年生の時に書いた、十年後の、二十歳の自分あての葉書きだった。十年後にも確実な住所を書きなさいと言われ、実家の住所を書いたのだ。自分としては必ず引っ越しをするに違いない(むしろ、して欲しい)との想いもそこに顔を出している。
弟も面食らったようだが、私たちはもちろん本人ももうすっかり忘れてしまっていたらしい。葉書きには三人で那須に行った時の写真が印刷してあった。三脚を使って自分で撮影し、自分でパソコンを使って印刷した葉書きに学校で文章を書いたという。
十年は短い。私たち親から見れば、子どもは図体ばかり大きくなるが中身はちっとも成長していないように見える。でも子どもがそれを書いたときは10歳。それまでの人生と同じ長さの未来など、遠い遠いかなたに違いない。私自身の記憶に照らしてもそうだ。
葉書きの最後に「お父さん、お母さんはどうしているかな。死んでいないといいけどな」とあった。子どもにとって、親は国よりも、社会よりも身近に、血の通う形で自分を守ってくれるかけがえのない存在だ。その存在なしに未来に夢を架けることはできない。親の不幸、不運、無能はそのまま子どもの未来に影を落とす。一瞬、自分はどんな傘をさしかけ、どんな影を投げてきたのだろうと心を探り見た。
東日本大震災で親を失った子どもたちはそうした影さえ失ったのだと、Yenə düşünürəm。「死んでいなければいいけどな」とは、子ども心にそんな現実を感じていることの表れでもある。十年後の今「お父さんがもう少し社会的にまともな人だったらなア」と不運を感じているかも知れない。
子どもは親を選べない。だからこそ子ども自身に理想が必要になるのだ。親を尊敬するという子どもを私は好まない(それ以前に尊敬されない)。(子どもから見て)親など飯と金さえ出してくれればそれで十分という存在だ。親を踏み台に、自分の世界を作って行ければそれで良い。私も10年後の自分へのタイムカプセルを残してみようかと思う。 2012/1/28