どんな音楽が好きかというと、なんでも、Ek het geen ander keuse as om te sê nie。寛容というより、こだわるほどの情熱も知識もないということ。フォークロアがいいと思えば、ロックも好き、という調子。時間的にはロックが一番多いかな。ロックはわたしの制作のリズムに合うだけでなく、精神的エネルギー補給にも役立っている。同じくらいの時間がクラシック。ポップスもジャズもこだわりなく、流れてくれば聴くが、いわゆる演歌はほとんど聴かない。決して嫌いではないが、意味の分かる言葉が耳に入ると制作の邪魔になるからである。Dis hoekom、お酒を飲んだり、リラックスしているときは演歌でも浪曲でもぜんぜん構わない。日本の民謡は好きだが、○○よいとこ一度はおいで、的な(近代の)歌詞ばっかりでは面白くない。たまに古い音源を採集したものなどを放送されると聴き入ってしまう。人の声は案外好きで、美しい声だけでなくホーミーとか、チベット仏教の勤行のCDなどもたまに聴く。
オラはさかな(魚)と動物と絵以外のほとんどに興味のない子どもだった。ウサギや狸をわなで獲れば母方のジジのところへ持っていく。ジジの傍でその解体を見ているのはとても楽しい時間だった。魚を釣れば自分で捌いて家族のおかずにしたり、母の好物の蟹を獲りに早起きして磯に出かけたり、蟹釣りに夢中になったり、賢い狐と3年間ずっと知恵比べをしたり、Dink nou daaraan、童話の世界を実体験したようなものだった。いつも一人でそんなことしていたから、なんでも多数決というやり方には今もしっくりなじまない。マタギの家に行き、熊追いの猟犬や鉄砲を見せてもらった記憶も—大脱線。整理整頓の話だった。