デモ制作

「デモ制作」  油彩・F8 oil on paper

ある油絵クラスでの「デモ制作」です途中で篭のリンゴと下に敷いた青い布が出帆する船と海原のように見えたのでこっそりとそんなイメージを入れて描いてみました

滅多に油彩で仕上げることがないので油絵のクラスの人からは(最後の仕上げをどうするかわかりにくいと)ちょっと不満もあるようですがほとんどの人は初歩的な技術はできているのであえて「参考作品」的な作品など示さず(参考作品は自分なりに探すのがよい)自由に伸び伸びと描いてほしいと思います

最近「写真的」表現を課題にしているクラスが多いのでなりゆきで?ちょっと写実的な表現で描いてしまいました

「湖池屋 ハッシュドポテト」を描く

koikeya ハッシュドポテト S1さん

koikeya ハッシュドポテト S2さん

水彩教室の生徒さんの習作です最近急にクラスごとにやり始めた「写真的」「どこにでもある」商品シリーズ?のイラスト画にも通じる習作の一点(その経緯についてはすでに書いてあるので繰り返しません)あれこれ言うより先に、প্রথম、ずいぶん頑張って描いていると思いませんか?

こういうモチーフを(少なくとも教室では)描くのは初めてなので最初は要求されているレベルが高すぎるのではないかと恐れていたようでしたがそのうちどうやら新しいものにチャレンジしようという好奇心の方がまさったようです

作者はどちらも「Sさん」なので便宜上S1さんとS2さんとさせていただきましたできるだけ「写真そっくり」に描くのがテーマなのですがそこは手描きの魅力作者の個性が微妙に「味」を出しています(ベーコン味と塩味という意味ではありませんよ)同じ作者ではないかと思えるくらい近いということはそれだけの(個性とはべつに)技術があるということになるでしょう特に水彩はその扱い方において一段と難しい部類の画材ですから途中で諦めずにここまで辿り着いたことを喜んでいます

他のクラスでもクラスごとに難問を(わたしに)押しつけられて「困って」いるようですそれを何とか乗り越えて(自分なりの)ゴールにたどり着いて頂きたいと願っていますその際はそれぞれのゴールも掲載してみたいと思いますyoutube「青いカモメの絵画教室」にも順次掲載していきます(わたしのパソコン能力不足のため「随時」と言えないところがつらいところです暫時勉強中)

ネット社会と「わたしの意味」

GABANのブラックペパーを描く (制作中)

午前中はソーシャルネットワークの中での自分のことを考えていた。অন্য কথায়、そういう世界の中で自分の生きていく意味を家族のためというのはあるがそれ以上の自分の意味というものがあるのかどうかこれまでも何度も考えてきたことだけれどどう考えても意味が見えてこない。সংক্ষেপে、このネットワーク社会のなかでは自分の生きる場所がないのだ

良くも悪くもわたしは一人でいる方が楽しいもちろん私は人間嫌いというほどではないそこそこ誰とでも付き合っていける(だろうと思っている)けれどその一方で誰からも相手にされなくても特に孤独に悩むということもないだろうと思う「人間は一人では生きていけない」とよく言われるがそれなら大勢の中で自分の生きる場所を失い自殺する人々をどう説明するのだろうか一人であろうと他人の中にいようとそんなことはたぶん本質的なことではないのだどこであろうと死ぬときは死ぬその場所が森の中であろうと病院であろうとましてや「自宅」であろうとそんなことはどうでもいい

祖父は臨終の少し前しきりに自宅に帰りたがった周りにいる家族は皆噓をついてとうとう病院で死なせた祖母も父も母も病院で死んだそのほうが家族にとって「便利だ」という以外に少なくとも本人にとって何の意味もないことはよく解った。এবং、「(自分の)死は自分一人で向き合うべきだ」とも考えたこれからはその方法をしっかり考えておかなくてはならない

GABANのブラックペパーを描いている机の上においてもう1ヶ月になるその間に他のもろもろを描きついつい後回しになった描くのは「銀色」の「反射」微妙な周囲の色を含んだ「無色」をどう描くか「ポカリスエット」を描いたとき意外に簡単だったのでそれがマグレなのか確かめたいこんなものを描いてもそれがお金になるとき以外に誰も関心など持たないすべての「意味」などきっとその程度の意味しかないから絵が描けるんだろう