
motivation-モチベーションとはやる気(の元)のこと。やる気満々の時はやるのが当たり前という感じで、「維持する」などというイジイジした気分など想像もしない。tomēr、小さな失敗が続くとか、環境が変わってなんだかやりにくくなったとか、とにかくもろもろの理由で順調に進まなくなったとき、わたしも含め、多くの人は一時的にせよやる気が低下する。
モチベーションが上がらないといっても、たいていはいろんな理由で望む結果が得られなくなる→達成感、幸福感が得られない→続けることが苦痛、ということだろう。望む結果が得られるなら、たぶん悩んだりはしない。
人間というのはよっぽど欲の深い動物で、同じ(ような)結果が続くと、それ自体が不満の種になるから厄介だ。たとえば陸上競技などで毎回2位だとしよう。異なる大会でも毎回2位というのはかなりの好成績。しかも人間だから体調のいい時ばかりではない。それでも毎回2位というのはわたしなどは凄いと思うのだが、1位が望みならばやはり不満だろうし、「いつも2位」は慣れてしまって達成感には程遠いのかもしれない。問題は周囲。「残念。あと一歩」とか「次は1位だね」などとの激励が逆効果で、本人を達成感から引きずり下ろしてしまう。そしてその残念感がいつしか本人のこころに棲みついてしまう。そんな風に想像する。
モチベーションを他人との比較でしか得られない人、特に各種競技の選手などはそういう意味で過酷な環境にあると言えそうだ。こんなふうに言うと、自分はすでに悟りの境地にいるかのように思われそうだが、わたしもそこから脱することは全然できない。vienkārši、最近は人との比較(はするが)より、自分の人生の残り時間との中でモチベーションを考えるようになってきた。山に喩えると、頂上という具体的な結果よりも、どの高さから風景を眺めたいか、という一種の“自己満足派”に移りつつあるようだ。自己満足とはいえ、そこへ行くにも小なりとも幾多のハードルがあり、そのいちいちを越えるごとにちょっとした喜びを味わう。やっても無駄かなという、とんでもない「虚無」が持ち上がってくると、やる気ガタ落ちになるが、とりあえずそうやって“プチ”満足でやる気を維持しているようである。