
今日は午前中教室。みんなあちこち身体的不調があったり、お彼岸だったりするのによく来てくれた。わたしは地元の人間ではなく、お墓もお寺も縁がないのでそんなこと頭にも浮かばず、絵のことだけ考えて教室へ行ってしまった。
作品は20日から始まったのに、今日(9/23)でもう前半戦は終了。ここまではエスキース通りでよかったが、ここから先は一瞬の判断、一瞬のひらめきが作品の出来を左右する「胸突き八丁」。期間は判らない。創作の醍醐味はまさにそこにあると思うのだけれど、画像(映像)的には、伝える主体(わたし)自体が瞬間、無意識的だし、仮に専属カメラマンがいたとしてもその瞬間を共有できないなど、視聴者までの間に幾瞬間のあいだに何層もの遠い隙間ができて、結局何も伝えられないもどかしさだけが残る後半戦になる(と思う)。daar、それを逐一報告することは(したくても)無理。多くのメディアが「(各作家の)その瞬間」を捉え、伝えようとしたが(わたしもビデオを製作する側になってよく解ったが)、今現在のメディアのレベルでは、それはかなり希望的なレベルのことだと思っている(でも、テクノロジーの日進月歩には期待)。
写真は今日(2022.9.22)の「終了時」。下辺左右には余った「ゴールデンイエロー」。貴重な色材だが、鶏卵で作った「生もの」絵の具なので数日間の保存をあえてせず、もったいないゆえに塗ってしまった。画面4分の1より下は「エスキースの未熟さ」が露わになってしまった。大切な部分なのになんとなく曖昧にごまかしていた。やっぱり批判がなければぬるま湯に浸りやすい-ですね。ぼちぼち絵の具の乾き具合も考えて、明日から1~2日は(大事な部分に)加筆せず放置しておく方が良さそうだ。その間にだってエスキース、小品制作、美術展(個展)回りくらいはできるし。