

仕上がりまでの3割くらいまで進んできた。途中で気にかかっていたのは、「こんな面倒くさいことしなくても、もっと簡潔で効果的な方法があったのではないか」ということ。手間を惜しむわけではないが、まわりくどい方法は時間の浪費ばかりではなく、画面を汚し、狙い通りの効果を生み出せないことにつながる。「簡潔」が絶対にいいのである。
反射神経だな、それは—必要な時に、タイミングよくピッタリのやり方を選択する「勘」のようなもの。
年を取ってくると、直感的な閃きが薄くなり、それをじっくりと計画を練り上げることでカバーするようになる(なってきた)。これは反射神経が鈍くなってきたということではないか…描いていて、Skielik、そう思い当たった。
じっくりと練り上げる方法が悪いわけではもちろんない。浅はかな思いつきだけでイメージにとびつくより、よほど結果は安定する。野球選手の打率ふうにいうと、「思いつき」の打率が1割なら、「練り上げ」は3割弱というところか。打率1割台ならレギュラーは難しいが、3割なら堂々のクリーンアップである。普通の仕事なら間違いなく「練り上げ」の方が良い。でもアートではどうなんだろう。打率1割でも、その一本が心に残る魅力的な一本というのが、アートの本質なんじゃないだろうか。反射神経を研ぎ澄ますにはそのための鍛錬が欠かせない。やばいぜ。