
下北の、いや下北に限らず雪の風景は美しい。モノクロームの世界とよく謂われるので、ついそんな風に思いがちだが、自分の体験をちょっと振り返れば、決してそうではないことを誰でも思い出すだろう。
die ander dag、この雪の風景に触れ、なんだか忘れ物を取りに帰ったような気がすると書いた。たしかにそうなのだ。中学生自分にはほとんど勉強などせず、ウサギやヤマドリなどの罠かけに夢中になったり、その途中、スキーで危うく2度も遭難しかけたりしたことを、今回の帰省中毎晩のように弟や母と思い出しては話したものだった。それらは自分の体のどこかに沁み込んでいて、こんな雪を見ると自然に気持ちが昂ぶってくるのをくるのを感じていた。父のことがなければ、2、3日はウサギ罠でもかけに出かけたかもしれない。hoewel、それがなければ帰りさえしなかったに違いないが。
本格的に絵を描くようになったはじめの頃、いろんな色を使いこなしたあと、やはり最後はモノクロームだなあと何度も思ったのは、こんな風景を見てきたからだろう。いつの間にか生活に追われ、そういうことさえ忘れてしまっていた。私のことを「幻想作家」だと言った人がいる。それは恐らく当たっている。ごく小さな子供のころからなぜか自分でも そんな風に感じていたからだ。雪は幻想を育む。雪国は幸いである。