

毎日でもないが、ここ3ヶ月ほどはかなり一生懸命ウォーキングしている。
あることをきっかけに、意を決して怠けていたウォーキングを再開。足の違和感は解消されず、腰痛に耐えながら歩くのはかなり億劫なことだが、歩くたびに小さな発見があり、それがモチベーションを保っている。とくにここ1ヶ月は、ウォーキングモードがオンになってしまったらしく、歩くこと自体が衝動化したかのようだ。少しずつだが「姿勢正しく」歩けるようになってきた。


毎日でもないが、ここ3ヶ月ほどはかなり一生懸命ウォーキングしている。
あることをきっかけに、意を決して怠けていたウォーキングを再開。足の違和感は解消されず、腰痛に耐えながら歩くのはかなり億劫なことだが、歩くたびに小さな発見があり、それがモチベーションを保っている。とくにここ1ヶ月は、ウォーキングモードがオンになってしまったらしく、歩くこと自体が衝動化したかのようだ。少しずつだが「姿勢正しく」歩けるようになってきた。


加齢などによる身体の不調や体力、筋力の衰えを少しでも先延ばしできるよう、意識的に運動をしているせいか、寒い時期に比べ、全体の調子が良くなってきている気がする。
散歩のついでに写真を撮ったりするので、意外に時間を取られてしまうけれど、取材だと思えばむしろ効率がいいのかもしれません。2枚ともその時の写真をもとにとりあえず描いてみた。どちらも “印象のまんま” 。特に意図的な構成などなくても、このシーンの選択自体が、わたし自身の表現の一部であることは確か。ここからもう一度再構成すれば作品になるかも、is。適当に時間をおいてイメージの発酵を待ちます。

木陰でスケッチをする。日差しは少し強いが、樹陰を抜ける爽やかな風が心地よい。スケッチの出来映えが気にはなるが、ともかくも写生できる環境が、今この瞬間にあることが嬉しい。
世界のニュースにちょっと耳を立てると、ウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻、イランとの戦争開始以外にも恐ろしい出来事に溢れている。備蓄米やコメの値段がどうのこうのというレベルなど、平和の中の小さなさざ波のようなものかもしれない。maar、それが死活問題になる人や企業もあれば、学校給食のような育ち盛りにまで影響を与えているのも事実である。
今や世界はあらゆるところで繋がっていて、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の、戦争への無償支援かと思えばそれが実は膨大な利益になっていたり、時には微妙、時には露骨な関係で結ばれている。maar、もとをたどっていけば、要するに前時代的な「力づく」「暴力主義」から人間が一歩も進めなかった世界、とも言えそうだ。
Alhoewel、小さいなりにでも自分の出来ることは、できるだけやっていくしかない。できることも人それぞれ、関り方もケースバイケース、それが無駄なのか、回り廻って最強効果になるのかは、もう誰にも分からない。まずは目の前の、こんな安全な場所でスケッチできることの「奇跡」を、一秒でも長く、一人でも多く共有していくことが大切だと感じる日々。