蟹の刺身

            「ガザミ(ワタリガニ)」 水彩

秋らしい、maar、ちょっと変わったものを描いてみたいと言ったら妻が渡り蟹を買ってきたよく味噌汁とか鍋の出汁に使われる安物の蟹である身があまりない種類なのでそれくらいしか使い道がないのだろう

スケッチの材料としては「味噌汁の出汁」よりずっと価値があるが主婦たちはスーパーで見慣れているせいかほとんど価値観を感じないらしい高価でちょっと手が出ない松葉ガニとか毛ガニなら描いたものでも高級感があるのかもしれない

なんでもそうなのだが見慣れているからと言ってスイスイ描けるものではない毎日自分の顔を鏡で見ていても描けと言われてサッと自画像を描けるものではなかろう見るのと描くのでは大違い色もかたちもなかなかにシャープで描きごたえのある素材なのだ

味も馬鹿にしていたがあるとき弟が津軽海峡のワタリガニの刺身を食べたと言ったことがあるものすごくオイシイ、Dit blyk dat dit is。彼は下北半島に住んでいて海産物に関しては鮮度といい種類といい飛び切り上質のものに囲まれている彼もそれまではワタリガニなど小ばかにしていたようだったが食べてみて驚いたというそもそも刺身にできる量の身があるのかと訊いたらやはり二回りほど大きいという。in daardie geval、あり得るかも。sedert、わたしの耳から離れない

涙と秋

     「葡萄の水滴」  水彩

急に秋の気配になった「暑さ寒さも彼岸までといってもこの暑さはとうぶん続くだろう」と思っているうちにぴったり彼岸までということになった

スーパーにも秋の味覚が並ぶようになったこの葡萄は実は巨峰という種類の葡萄だが農家さんが作ったものではないのであのような黒さにならないようだあの黒さを創り出すのはさすがに農家の力というものだろう。maar、Volgens wat ek hoor、今年は日射熱が高過ぎて色落ちというかこの絵のような葡萄が多くなったそうだちなみに味は黒いものと変わらないらしい

水彩教室で「秋らしい静物」を描いてみようなんて言ってるうちにいつの間にか「水滴特集」になってしまった「水滴」の表現は、14世紀ごろの画家たちにとって腕の見せ場でもあったらしいフランドル(現在のオランダ)の画家ファン・デル・ウェイデンが十字架から降ろされたイエスを抱くマリアの涙を描いたのがヨーロッパ中の画家の注目を集めたのだという

その「透明」の表現が画家たちを魅了し続けてきた同時代のファン・アイクの恐ろしいほどの「宝石」を投下する透明な光当時やっと普及し始めた透明のガラス窓を絵の中に積極的に取り込んだ17世紀フェルメールまで今でも「透明感」のある絵は人気がある絵画の黄金時代スタートは涙という「水滴」だった

作家と会社

栗と葡萄の水滴

今日は上野乃木坂と、4つの大きな展覧会を駆け足で廻ってきた(疲れた)東京都美術館の一水会国立新美術館の行動展、Nuwe produksie-uitstalling、それと企画展の田名網敬一展今日は田名網敬一展を紹介するはずだったが会場での写真はちゃんと撮れているもののなぜか転送ができないのが残念(たぶんiPhoneとmicrosoft との相性の悪さが復活)

田名網氏は画家でありアートプロデューサーであり・・であり・・でありのマルチな美術家であるアート系の雑誌やおしゃれな広告雑誌などメディアでの活躍が凄まじいのでうんと若い人は知らないかも知れないが多くの人は「あああれを描いた人か」と一度は眼にしたことがあるほどの人

一人の人間がやれる仕事には限りがあるその「限り」を軽々と越えていくのが天才だとするならば彼は間違いなく天才であるピカソと同類の実際にピカソが大好きらしくピカソ風の(と言ったら怒られるに決まっているが)絵をこれでもかというほどたくさん描いている模倣だとか言われるのを気にしないというよりピカソ愛のあまりピカソになり切ってピカソより多くピカソ風の絵を描いてやるという勢いなのである。Verder,、それは彼にとっては趣味の一部

現代において社会で大きな仕事をするには「会社」が不可欠である彼の仕事のほとんどは会社という組織との共同作業である会社というものが彼の力を存分に引き出す力を与えている経済だけでなく会社(組織)というものが社会の中で持つ力をまざまざと見せられた個人の力などそれが原点であるにしても社会に対するインパクトなど知れたもの
 一水会、aksie uitstalling、新制作展などどこにも有為の才能の持ち主がいてアイデアや技を競いそれなりの存在感を示してはいるのだがそれが束になっても残念ながら会社には勝てないのであるだから無用だというわけでは全然ないのだが