神経美学

「神経美学」という言葉そういう研究分野があることを初めて知りました芸術に対する感動が人間の身体に対する影響を研究する分野で最近注目の学問なのだそうですそういった分野の心理学的な研究くらいはあるだろうとは予測していましたがそれが急速に発展しているとまではまったく想像していませんでした

生成AIによる画像生成文章生成機能の急速な発展とその応用がどんどん社会に浸透し始めるやそれまで冷ややかに遠巻きに眺めていた政府や財界人文系分野の研究機関でさえ今度は乗り遅れるなとばかりに一斉に使い始めています新しいパソコンモバイル端末などには最初からセットされているようですし既存のパソコンにもどんどんサービスされ始めていますそのスピード感に振り回されついていけない挫折感を持つ人々との溝も大きく裂け始めているように感じます

とにかくそんな情報ばかり溢れていてそれに比べて芸術などはせいぜい生成AIによる著作権侵害を申し立てるだけと悲観していましたのでこうした研究は嬉しいことです芸術に携わる人々の誰もが芸術を愛する心が平和を求める力になることを知ってはいましたがそれらの人々の多くは政治とは距離を置くべきだと考え結果として戦争を止める力は持ちえませんでした 
 神経美学はそういった主張主義とは別に人間の健康そのものに対する影響を研究するのですからイデオロギーとか敵味方などにとらわれず受け入れることができます

もっとも戦場で銃を撃ちあうことミサイルに備えて日夜防空壕に避難する生活が身体にとって最悪であることが解っていてさえ現実に数百万数千万人の人々がそういう生活を強いられていることをみればなにをかいわんやですがそれでも世界はAIだけで足りるわけではない芸術がもっと社会的な力を持てば平和の力になり得る(かもしれない)そう思うだけでも絵を描く筆に力が入るような気がします

絵はそんなふうに出来る

「Apple-たそがれ」 そろそろ終了まじか

暑い暑いと言いながらも夕方には暑さのピークも過ぎたかなと思わせる瞬間も感じるようになってきましたそれとともにウオーキングも再開昨夕は歩き始めたらすぐ大きな赤い月が登ってきましたでっかく見えるなあと思っていたらスーパームーンとのこと。8月2回目の満月ということでブルームーンでもあったらしい暑くてもたまには外に出るものですね世界中でたくさんの人がこの月を見上げたようです(インドの月面探査機まで見えたかどうか)

「Apple-たそがれ」はそろそろ仕上げ段階ですが細かいところでちょっと2~3日足踏み全体のバランスですね少し描きすぎてしまったところは壊してしまうかもしれません

自分の絵であり自分の思い通りに描いているのにこれが自分の描きたいものかといえばなぜか今一つそんな気がしないのです説明しにくい一種不思議な感覚ですがいったんスタートするとひとつの流れができてこういう絵になるけれどもしスタート位置が少しずれれば全然違う絵にもなり得る、coś w tym stylu。

ヨーロッパの都市たとえばパリの凱旋門のところから四方八方に放射状に道がありますがその中心からどの道を選ぶかによってゴールの風景が異なりますそんな感じに近いかもしれません時にはまったく正反対の道を取ってもパリはパリそれ以外の風景ではないのですが見る人には真逆のイメージとして映ることもあるでしょう自分の描く絵をそんな地図にしてみたらこの絵にはこの道が合っていると直感的に選んでいるわけです時どき立ち止まってあっちの道ならどう見えるだろうかなどと想像しつつとりあえずゴール近くまでは来た違う風景を見たいならまたスタート地点まで戻るそんな感じで描いています

価値観の分断

「新生№5」2008  テンペラ、210×546(cm) そういうこどだったのか・・
「脱皮」2007 テンペラ、91×182(cm) 

今日で8月も終わりなんだか暑いだけだったなーと思っているうちに追い打ちで「9月も暑いってよ」と気象庁が発表しています市役所から今日も熱中症予防のメールが発信されています関東ではどこもそんな状況でしょうが局地的には鳥取新潟山形秋田などの日本海側を中心に今日も厳しい猛暑日が予想されています

福島原発からの汚染水海洋排出大阪万博カジノ推進世界でもウクライナ戦争は言うまでもなく中国対アメリカの,、主義とお金を巡る争い地球温暖化開発と環境とパンデミックの諸問題をめぐって鋭く対立しています結局は価値観の対立ですがそれがさらに細かく分断しそのそれぞれがまた壁のように峻別され協調して乗り越える努力の代わりに簡単に武力が行使されてしまいます

そこまで対外的な事柄でなくごく身近なことにも価値観の分断がありそれぞれ気が重くなるほど強い表現で相手を攻撃していますたとえば“X” (前の“ツイッター”)などを見ても相手側の意見の背景や真意を理解しようとする気持などまったく示されないまま暴言のオンパレードです短い文章だから余計そうなるところもあると思いますが(それは言語力の衰退という新たな問題を孕みますが)何より発信ボタンを押するまでにもう一度(できるだけ)冷静に自分の気持ちを振り返ってみるという時間を持てないことがその理由ではないでしょうか皮肉なことに腕時計を持った時から現代人は“時間を失ってしまった” のです

「価値観」とは自分の中での「価値の順位」のことでもあります人によってその順位に違いがあること自体はたぶん誰もが容認できるでしょう。ale、たとえば人を傷つけることはよくないなとということは価値観以前の人類史的な文化遺産だろうと思っていますそれに近い部分に分断が起きてくると価値観どころか “人間観” そのものが揺らいでしまいます
 個人の価値観を大事にするということは時代の流れでありある意味で歴史の必然でもあると思いますが現状での価値観が裂けていくかのような様相はこれまでの“人間” が人間でなくなるというか爬虫類や両生類のように新しいものへ脱皮するそういう変化(進化?)の時なのかもしれないと思っていますそういう想いを一度絵にしてみたことがあります