楽天的と無知(ワクチン接種予約)

メディニラ 水彩+CG

金曜日にコロナワクチンの接種券が届きパソコンから予約した日程を調節したり雑事が入ったりして予約サイトにログインしたのが翌日の午後1時過ぎすでに選択肢はなく接種スケジュール最終日のいくつかの時間帯が開いているだけ。op die ou end、1回目、2回目とも7月(2回目は7/31)となった接種券が届いた翌日なのにもう選択肢が無いという不満は残ったがとりあえず予約できたとそれだけで土曜日の仕事が終わったような気になった

「その日その日の受付枠というのがあるんじゃない?」と日曜日の朝(つまり今朝)遅い朝食を摂っているとき息子が言った—あゝ、Dis dit。その日に限っての選択肢だったのかも知れないとその時初めて思い至った考えてみればすべての枠をすっかり開放してしまったら実質的に先着順の競争になってしまうどの自治体もそこを考慮してその日その日の受付枠を設定しているはずと考えるほうがむしろ自然である

とりあえず予約できたからいいやまではまあ楽天的といっていいだろうか。maar、もう少し早い予約の取り方があるのではないか受付枠の解放の仕方はどうなっているのだろうかという発想が全然無かったのは無知のせいである「たとえば○○市ではこういう日別の受付枠が公開されているよ」とスマホで見せてくれた残念ながら当市ではそのような情報は公開されていなかったがされていたとしてもそういう知識がなければそれを見ようという発想自体が起きてこない

知らぬが仏という言葉があるある意味無知であるがゆえに楽天的になれるということだがそのまま裏返せば「知れば地獄」ともなる。werklike、そのことを知ったために予約を変更した方がいいかもとかちょっとジタバタ「気持ち悪い」時間を過ごした「備えあれば患いなし」もどんな病気や災害にどんなふうに備えたらいいかそのための用具知識をどうやって入手するか等々無知なままでは何ひとつ備えることができないそのうえで「患いなし=楽天的」なのだよと読み換えるべきなのである—それでもへそ曲がりは抵抗する「怖さ知らずだからこそ人は新しいことができるのではないか。"maar、内心ちょっと分が悪い感じはする

働きかた未改革

「宮代運動公園にて」  移動中チラッと見えた気持ちよさそうな場所

「働く」ということはどういうことかその「定義」をこれまでと変え「新しい働き方」を志向するというのが「働き方改革」ではなかっただろうかコロナ禍でオンライン化が加速され改革は進むはずだったのではないかろくすっぽ働きもしないわたしがいうのもなんだがもっぱら時短とオンライン環境くらいが話題になるだけで「働く」ということの意味自体はほとんど問われていないのではないか、ek dink。

働く時間と方法という意味では確かに文字どおり「働き方」はすこし変化(決して改革なんかではなく)したかもしれない飲食店ではテイクアウト用の品を作るようになり会社員の数%は会社に出勤せずに仕事ができるようになり配達する人は一層忙しく体力をすり減らすようになった。maar、これでは単に「働き方の変化」ではあるがどこも改革になどなっていない働かなければ生きていけない以上働き方=生き方でありそうであるならば「どう生きるか」「どんな生き方をしたいのか」を考えずに「働き方改革」など絵に描いた餅どころではない

「働き方改革」の根本は「働く=お金を稼ぐ=時間・体力の提供」という等式を変えるということだろうとわたしは思う働く≠お金を稼ぐでもいいしお金を稼ぐ≠時間・体力の提供でもいい。in elk geval、この等式からチェンジすることが「改革」なのではないかと考えるのである会社が個人の上に在って雇ってもらわなければ生きていけないという悲壮な発想を変えることそれが改革のエンジンなのではないか

大きな会社に就職して「安心安全!な生活」のあと悠々自適に海外旅行…なんて戦後の発想が今も年配の方を中心に妄想として残っているのではないだろうかどこかで「額に汗して」「世のため人のため会社のため」に「自己犠牲を顧みない」という誤った「美徳」感をいまだにまき散らしているのではないかそれが子ども孫に悪影響を及ぼしていることにさえ気づかないほど耄碌した社会になってしまっているのではないか「遊んで暮らせるほど世の中は甘くない」と教訓を垂れるのではなくそういう社会になったらみんな楽しいんじゃない?という肯定感がこの奴隷根性に縛られた日本には今一番必要なんじゃないかなと思うのだけれど

パルスオキシメーターを買った

メディニラ 水彩・ペン・ファブリアーノ紙

パルスオキシメーターを買ったしばらく前から買った方がいいかなと妻が言っていたがとうとう買ったようだ(中国製日本製は高くて買えなかったらしい)パルスオキシメーターは心拍数と血中酸素飽和度を測るもの最近は特に人差し指の先を挟むタイプのものをメディアでよく見かけるアレ運動選手は負荷を確かめながらトレーニングの内容を決めたりするのにも使っているらしい

買ったその日は家族全員が代わる代わる指を挟むハサむわたしは酸素飽和度が高くほぼ99%。maar、なぜか心拍が弱い(逆に心臓が強いからそんなに拍動しなくてもいい?)ように見える(視覚化される)。Buitendien,、なぜか人差し指だと「心停止」してしまう小指なら生き残れる息子の指はわたしより太いのにちゃんと人差し指で測れるから指の太さのせいではないコレフシギナリ「心拍数」はわたしの場合安静時ならほぼぴったり60(それがペースメーカーの仕事)。maar、翌日からもう誰も測らないわたしもそれが今どこに在るのか知らないこれでいざという時役に立つのか—立たないね買っただけ持っているだけの安心感の好例を更新

コロナ禍で入院したくても自宅療養せざるを得ない人が自分または家族が現状を把握し適切に医療機関に連絡する際の重要データとして「酸素飽和度」がひとつのキーワードになっていることをメディアは再三取り上げていたその影響で買ったわけだが一時はこの器具が品薄だったという皆同じことを考え同じ消費行動に走ったということはかつての「トイレットペーパーの争奪戦」とおなじ構図だと言われているその時は「どうせデマがデマを呼んでいるだけだ」と冷静でいられた我が家がそれが今回ということは教訓が生かされていないというより「前よりバカになった」ということになると思う

パルスオキシメーターは「バカの程度を測る器具」ではもちろんないが見ようによってはそういう装置とも受け取ることができるかつてトイレットペーパーを山と積んだ人も結局はすべて費消できたと思うけれどパルスナントカはどうか場所を取らないことが(すでにどこにあるかさえ分からないのだから)せめてもの取り柄ではあるが