発想の転換とはいうけれど

秋のトランペット(水彩 F6)

「発想の転換をしなくっちゃ」と人に言われるまでもなく意識し続けてきたつもりだがもう開き直りこそ発想の(再)転換かもしれないとさえ思う昨今。Если ты заставишь меня、ちょっと深く考えてみるとまずやってみてその経験から学ぶという地道な方法しかないように思えてくる

「やってみる」という単純なことが歳をとるとできなくなってくるそれまでの経験から「きっとこう(なる)だろう」が始める意欲を押しとどめてしまうとはよく言われることたぶんそうなのだろうが一番の理由は「あえて」やらなくても困らないことではないかと思うつまりわざわざリスクを犯す必要を感じないということ

いくら歳をとったって好きなことは理由がなくてもやるにきまっているし必要不可欠となれば嫌なことでもやるのである。Но、「やらなくても困らない」程度のことならあえてめんどうなことに手を出す必要はない若い人は好奇心から「必要は感じないけど(人がやるなら自分も)やってみる」客観視か主観視かの違いがあるかもしれない

自分のことを考えてみると他人が案外簡単そうにやっていることでも未体験の自分にとっては意外に手こずることが少なくなかったそれらの小さなトラウマが先に立ってつい怖気が先に来るようになってしまっているでも始めて見ると時間が経つにつれて少しずつ回りが見えはじめ足場も手がかりもだんだんに解ってくる(気がする)・・・いやいや回りくどい要するに単純に若い人のように好奇心を持つこと「それ面白そう」というのを見つけるということなんだろうね

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Takashi

Личный блог Такаши。Не только о картинах、О чем я думаю каждый день、что ты чувствуешь、Я пишу все, что приходит в голову。Этот блог третьего поколения。С начала прошло более 20 лет.。 2023С 1 января、На данный момент я решил просто писать в нечетные дни.。Я буду постепенно обдумывать свое будущее направление и другие вещи.。

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