絵画の世界では「これが私のスタイルです」を確立するまでが苦労で、いったんスタイル=画風を確立さえすれば「これが私だ!」で自分も、世間もそれで認める、認められることになる、ようだ。作家は皆必死で自分のスタイルを探し求め、模倣し、作っては壊して、独自のスタイルを作りあげ、その努力を世は賞賛する、というストーリーになっている、Кажется。
確かに一朝一夕でスタイルは確立しない。画家のあらゆる試み、あらゆる感性や長い間に培われた絵画思想といったものがそこには詰め込まれている。вот почему、スタイルを確立するということはその氷山の一角をついに水面上に出す、ということであって、やはり賞賛に値するものだ。
けれど一方で、画家のスタイルは(比較していいのか迷うが)会社のロゴみたいなものだと考える人も少なくない。ロゴとはようするにブランドであり、シンボルである。大事なのはそれを生み出した人とその製品の内容であって、ロゴそのものに意味があるわけではない。
ロゴやブランドが尊重されるのは、ビジネスの上でその品質が保証されてきたという実績があるからだ。ブランドを汚すという言葉は、その実績=品質保証を疑わせる製品を世に出すという意味だ。つまり、ブランドと中身は常に一致していなければならないということ。それは、同じレベルのものを作り続けるというだけでなく、一方で常に進化・深化し続けることでもある。社会環境の方が変化するからである。
вот почему、「これが私のスタイルです」と画家がいう時(そんなことを言うはずもないが)、それは外側から見た「画風」の意味だけであるはずはない。「私のスタイル」とは、常に変化し、かつ動じず、ということだろう。そしてそれはたぶん、一般の人が「スタイル」という言葉に持つイメージとは随分違った中身になるに違いない。