pada fikiran kedua、基本は描くことだ

「 Apple Rain 」  ペンのスケッチにパソコンで着色

今年は「プチ断捨離」をした。dalam keadaan panas、自粛ムードで出かけることが少なくなり、部屋の狭さ(使わないものの多さ)を痛感したからだ(そのくせ、数日後には「アレ、なんで捨てちゃったかなー」と後悔したり)。Dalam proses、昔買い込んでおいた安物の紙類があちこちから現れてきた。

小さい頃は、落書きをする紙が全然足りなかった。算数、国語のノートは周囲どころか、表紙裏、挙げ句は本体部分までの落書きで、その隙間に授業のなにかが見えていた。教科書の行間にも描き、クラスの子のノートにも描き、テスト中にもその用紙の裏に描いた。ときどき母は近所の家から捨てるような紙を貰いに回ってくれた。

Itulah sebabnya、何にも描いていない紙を捨てるのは、私には相当の罪悪感がある。「高野聖」の作者、泉鏡花が、文字の書いてあるものを捨てるのは、それがなんであれ嫌がった、というのをどこかで読んだ記憶があり、比較は僭越だが深く共鳴したのを覚えている。

sebab tu、「何かを描いてから」捨てるつもりで、それらの紙にスケッチ、クロッキーを描き始めた。Kemudian、一本、線を引くたびになにかが目覚めるような気持ちになるのだった。

描けば良いってもんじゃない。Terdapat、これはもう一種の病気、中毒あるいはすでに私の持病なのだ、Saya merasakan itu。描かなければ死んでしまう、描くことだけが効能ある薬、と改めて思う。「毒をくらわば皿まで」。最後まで薬は手放せない。

Diterbitkan oleh

Takashi

Blog peribadi Takashi。Bukan setakat lukisan、Apa yang saya fikirkan setiap hari、apa yang anda rasa、Saya menulis apa sahaja yang terlintas di fikiran。Blog ini adalah generasi ketiga。Dari awal, sudah lebih 20 tahun.。 2023Dari 1 Januari、Buat masa ini, saya memutuskan untuk menulis sahaja pada hari bernombor ganjil.。Saya akan memikirkan hala tuju masa depan saya dan perkara lain sekeping demi sekeping.。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Medan yang diperlukan ditanda *