
最近テンペラを再び基本からやり直している(原則からと言った方が、より正確)ことは前に書いた。და、我ながらすごいなと、少し自分を見直してもいる。
私がテンペラの作品を初めて制作したのは1981年だから、今年は30周年にあたる。すごいというのは、最初からこの技法を自分流に造り変えていることだ。テンペラに無知で、試行錯誤しながらだったことがその源だが、今あらためてテンペラの原則を確認しながら描いてみると、当時の直感がことごとく、極めて正確なことに少し驚く。
若さだと思う。もしも基本というものを学校などで教わっていたら、多分習った通りのやり方で描いていただろう(それはそれで間違いないことだ)。画集を見ても、作品の現物を見ても、技法書を読んでも、肝心なところは分からない。結局は今ある知識を総動員して想像をめぐらし、推理して、実際に試してみるしかない。რას ნიშნავს ნახატის დახატვა、そういう実際を体験しながら、自分独自の作品を作っていくことだということを、まさに地でいったことになる。その直感力が今より格段にシャープだ。感性が若かったのだと思う。
反面、本当の技術の奥深さは、直感だけでは掴みきれない部分がある。若い分だけ、思考も知識の総体も不十分で、本物を知らない、独りよがりの怖さもある。でもそれでいいのかも知れない。結局はどんなかたちになろうと、自分の身の丈しか表現できるはずはなく、またそれで十分なはずだから。
いろいろ世事に振り回される。生きている以上誰しも避けられないことだが、年を取るとあれこれ先回りして考えることが出来るようになり、そのことが逆に自分を規定してしまうことにもなる。想定外のことは考えない、思考停止状態になってしまうのだ。若さの特権は想定外のことをまるで当然のように想定することでもある。ちょっと話が逸れるが、日本の社会も想定内のことばかり考えるようになっているように見える。若い人が住みづらい国になるわけだ。
中川一政が男は50代、60代が一番弱い、と言った。その理由は子どもの教育と親の面倒と自分の家庭と仕事のすべてが一人の肩にのしかかってくるからだという。აუცილებლად。60を過ぎればかえって若くなる、とも言っている。私の周りを見ても、のびのびと自己主張の絵を描ける画家は確かにその年代あたりからかも知れない。今の苦しみが60過ぎてから活きてくることを信じる以外に、今はないようだ。 2011/8/14