その矛盾を和らげるには、暗い色はなるべく薄く塗るほうがいいことになる。igitur、紙の白さを残すんですね。残った紙の白さとの対比によって、より暗く「感じさせる」のが、透明水彩という技法です。見たままではなく、効果を考えて描かなくてはならない。In hoc sensu、油絵よりよっぽど高度で、また技術的にも難しいんです。 少し脱線しますが、子どもには、水彩より油絵を先に親しませた方がいいというのはわたしの主張でもありますが、日本はそういう意味では「(自分も含め)周りを汚さない」「匂いがある」「荷物が重い」等々、芸術という点からみれば本質的でないことが優先順位が高い。いろいろ問題はあるが、簡単な方から始めるのがいい、というのが基本です。
話が逸れましたが、Cum hoc in mente、「夜景」は普通に思っている以上に難しいんです。なんだか弁解に聞こえますが、だからチャレンジしたくもなるんですよね。 ※2024.7月11日に「夜の花屋前」というタイトルで、同じモチーフで別バージョンの絵を描いています。どうぞ比べてみてください。
一枚の羽子板には、木を育てる人から数えれば、かなりの数の職人さんたちが関わっているにいるに違いない。その人たちが全員(家族も含め)生活していくには、羽子板が高価で飛ぶように売れていかなければならない、Et quod cogitant。羽子板の需要という現実を考えれば、廃業(と聞いている)もやむを得ない選択かとも思うけれど、こんな小さな部分にも、職人のこだわりと実力が込められている。伝統文化にちょっとだけ触れた正月だった。