考えない人などいないだろ!お怒りはごもっともです。Если ты заставишь меня、まともに、とか論理的あるいは合理的に、とかあるいは科学的に等々、少し限定すると急にその怒りも鎮まるように思う。何が大切で、そのためにはどうするのか、どんな方法があるのか、それを自分でどうやるのか、そんな筋道を「普通に考える」ことのほうが、案外「ユニーク」と考えられているのではないか。「考えること」は「思う」こととは違う。考えるためには知らなくてはならないし、知るためには学ぶ・調べる・経験するという「行動」が要る。わたしが「考えない人」のど真ん中にいる理由はこれだな。ナマケモノなんだ。
この絵を(生徒さんの絵だと思って)批評してみると、以下のようになるでしょうか。①(緑、黄、赤)それぞれの色が高彩度で主張し合い、画面が分裂気味 ②モチーフも、静物・人物・風景とデラックスに盛り込み過ぎ ですね。Если ты заставишь меня、ちっとはチアー・アップしないとやる気無くしますから急いでフォローします。①’そのぶん、元気のいい画面になってるよ ②’モチーフは確かに大盛サービスし過ぎだが、植物、人物、風景と描写レベルに差をつけているのはGood! ③’失敗は他の人を元気にしますよ とか。
制作現場の反省としては(まだ「未完」なんですが?)、なんだか変に肩に力が入り過ぎてブリキのロボット感。こんな時は、しばらく放っておくと頭を冷やす効果があります。「ひさしぶり」ってのが肩に力が入る理由ですね。コンスタントに50~100号サイズを描き続ける必要があるってことでしょう。Если ты заставишь меня、それはあくまで勉強のため。自分自身が心地よくなるために描くなら、画面の端々まで手が自由に届くサイズがいいでしょう。10~20号くらいですかね。あまり小さい画面だと気持ちまで縮んでしまいます。