遅延コミュニケーション

少しお腹の具合が…

2/1 関東に再び雪の注意報が出た。2/2 昼前にかけ東京で3〜8cm北関東で8〜15cmほど降ったらしいわが家は先日の雪がまだ残っていたが雪の前に降った雨で融ける分と相殺するとどうやら融雪の方が大きいようだった

翌早朝の宇都宮線のスレッドをみると遅延運休を期待していた人々のコメントがどっさり社員が頑張って遅延しなければしないでやはり恨み節遅延でも殆どの場合原因がはっきりしているので怒るコメントにも謝る方にも一定のラインがあってすれすれのユーモアを楽しんでいる感もなくはない怒りのスレッドにクスッと笑う余裕を共有しているらしいのが同じ路線に乗り合わせる仲間意識が感じられて楽しい

これらのスレッドをネット介在の新しい「地域=路線」コミュニケーション形態ととらえればなかなか面白い研究対象になるのではないかお互いに顔を知らないという現代性と路線を共有するだけという「観念的」地域性歴史的心理的地域・世界(地理)的な共通性と特異性とがきっとある

「咎める謝る」の場面は落語小噺には限りなくあるある意味日本人の最も得意とする分野かも知れない小学生に英語を必修化するよりこういうものを少しは教えたらどうだろう「ぎすぎす」化の強まる社会への誰にでもできるインフラになるのではないだろうか

冬が来れば思い出す

オジロワシ舞う

「夏が来れば思い出す」ではないが冬が来れば思い出すことも少なくない

雪上に点々と続く動物や鳥の足跡空から激突するようにドスンと体をぶつけて着地する雉(キジ)の丸い胴体のあとドタドタした駆け足(滑走)飛び立ちの瞬間やっと浮いた体重の下を微かに羽根の先が雪を掻いた痕跡

立ち止まり何か考えるように小さく回りまた歩き出す一本の点線脚を踏み出すたびに深い雪をほんの少し引っかけるそれが転がって微かな線を残す柔らかな窪みはそこで狐が束の間の休息を得たことを示している小さな動物が雪に半分埋まりながらうねるように歩くそれらのイメージを半分は動物になって追体験してみるのが冬の愉しみの一つ葉を落とした灌木の茂みの中に野生の梨が鳥たちに見つからず残っていたりするそれは天からのご馳走だ

下北風景 / Landscape

下北風景 パステルクレパス

久しぶりに風景画を描いてみようかとスケッチブックに子どもが使った残りのクレパスなどでイメージを描いてみた

母を見舞った病院から1.5kmほどの道沿いにある民家車の出入りする轍の跡がなければ人が住んでいるようには見えない晴天の雪景色だったがそのままではまるで観光写真に見えるので月夜を思わせる青い風景にしてみようかと、2〜3枚スケッチした

絵の半分は見る人が描くものだという考えが近年強くなってきた文化とか環境とか生命という大きな次元の中で「個」ということの意味が私にとっては随分変わってきた始めに個ありきではなくどう生まれどうやって輝くのか少し考えるようになってきた