不勉強の言いわけ 「少年老いやすく学成り難し」とは「論語」にある言葉だそうだ。無学無教養を恥ずかしく思いつつも、だからと言って特に努力もしなかった。 そもそも「勉強」の意味がよく解らなかった。論語でいう「学」も、所詮は処世術ではないか、という意識が強かった。今も不勉強の言いわけに使っている。
詳しく知っている Asahi 自分が詳しく知っていることを他人に説明する時、いわゆる「上から目線」になって、押しつけてしまうことが多い。反省しても、すぐに忘れて同じことを繰り返す。 もう少し踏み込んで考えると、「詳しく知っている」ことの中身も、そう大した違いはない。Li ntawd,、押しつける必要など実は何にもないのだった。
感性は、シマウマのお尻 感性とは、究極的にいえば肉体的、精神的な満足感を得ることに直結した「身体全体の統合的なはたらき」。ポイントは、それが計算の結果によるものではなく、「直感的」であること。 直感的とは、結論に至る、その速度が逐次的ではなく反応的であること。途中が殆ど省略されて、いきなり結論あるいは結果が「出ている」こと。知識や感覚や経験の瞬間統合。大事なことは、それが「感性貧しい」誰にもあるということだ。 「シマウマが、尻にライオンの爪を立てられた瞬間」を感覚的に想像できるようなら、感性は決して貧しくない。