敵はワシントンにあり

「An Iranian girl」 水彩

アメリカのトランプ大統領が、今年12月フロリダ州マイアミにあるトランプ所有のゴルフ場で開催予定の、G20サミットにプーチンを招待したと、国務長官ルビオ氏が正式に公表した(9月23日水曜日)。EUからもアメリカ上院議員の間からも、その招待を撤回せよとの声が上がっている。

わずか1週間前には、アメリカ司法省が、アメリカ国内に潜伏しているとみられるロシアの情報機関(と司法省、FBIは認めている)の5人を、米国内のインフラ破壊や、暗殺を企図、実行、教唆したとして、現在逃亡中のまま起訴し、文書を公開している。
 「情報機関に関わっている」という以上、命令したのはプーチンだという意味でもある。いわば、子分は追及するが親玉は(トランプにとって)大切な友人だと公言する、アメリカ自体にとっても「反社会的」ともいえる「所業」だから、そういう声が出るのも当然だ。公私混同どころか、全面的にトランプ個人のやりたい放題。「アメリカ合衆国」がいずれその「○○○○大統領」の尻拭いをさせられるに違いない。

トランプにとって、ウクライナもイランも、ヨーロッパの平和も中東やアジアの平和なども、本当はどうでもいいのだろう。ノーベル平和賞だけ!はまだ執念があるらしく、そのために平和を願うポーズだけはとってきたが、どうも貰えなさそうだと感じてきたから、開き直って本心が顕れてきた、というところか。

ウクライナの本当の敵は、実はロシアだけではなく、ましてやロシアを助ける中国でも北朝鮮でもインドでもなく、トランプになりそうだ、とウクライナ人は感づいている。冗談ではなく、トランプならロシアと組んでウクライナに米軍を差し向けかねない、と現実的に心配になってきた。敵は本能寺ではなく、どうやらワシントンにいるらしい。

「力による平和」ってなんですか?

「人物習作」 水彩   (写真は本文とは関係ありません)

「力による平和」ってなんですか?「弱肉強食」とか「武力鎮圧」とどう違うんでしょう?冷戦時代の「力による均衡」というワードとは少し違うようです。

トランプが言い始めた?このワードは、一人の強いギャングに歯向かうものがいなければ、それを平和と呼べ、という意味にわたしは感じます。要するに「独裁者」になりたい、と彼は言っているんでしょうね。民主主義を嫌い、プーチンや金正恩が大好き、というより尊敬しているのはそういうお手本だからなのでしょう。

(とんでもないことに)アホなマスコミばかりか、最近ゼレンスキーまでもが「力による平和」という言葉を使い始めたらしい。ロシアとウクライナが武力的にイーブンになればそれが平和だということか?確かに毎日ミサイルが飛んできて、毎日誰かが戦火の中で死んでいくという状況よりましだとは言えるけれど。

トランプが独裁者に憧れ、自分もそうなりたいと望んでいることはもちろんMAGAの人々も知っているはず(彼がゼレンスキーを「独裁者」と揶揄したのはどういう頭の構造なのか解らない)。でも彼らの興味はそ程度のものではないらしい。トランプが「本物の神」かどうかを見守っているのだという。もし神なら、何をしてもそれは「思し召し」。人間どもが人間のレベルで批判することのほうが間違っているのだそうだ。そうしたアメリカ人にとっての「神」はわたしにはとうてい理解不可能のようだ。

1984

「那須山麓」 アクリル

「1984」という有名な小説がある。1949年に出版された英国の作家ジョージ・オーウェルが1984年という近未来を空想して描いたもので、あらゆるところにカメラやマイクが仕掛けられ、人々を監視する社会がSF的に表現されている。

出版されたときから考えればたかだか35年という近未来。その時点ではさすがにオーウェルの空想したようにはならなかったが、21世紀のいま、それは現実のものとなっている。

すでにシンプルなカメラやマイクを越えた、AIがそれだ。いま巷で話題になっているAIエージェントとか、AIをどう利用するか、どうつきあうか、という幼稚なレベルの話ではなく、人類がAIをコントロールできなくなり、滅亡の可能性がある、という話である。「1984」をさらに絶望的にしているのが、それが「近未来」ではなく、「今」だということ。

超知能AI(スーパーインテリジェンス)と言われる、すべての人間の知能を越えたAIをどこのどんな企業が先に作るかの競争が、すでに「終盤」に差し掛かっているという。確かにAIは一方では人類の平和や健康・医療などにも大きな力にもなる。Tab sis npog、Rau lwm cov tes、あらゆる人間知を越えたAIがどういうものかは、まだ誰も知らないのある。それが人類をあえて攻撃するとか言うのでなくても、結果的にそうなることはあり得るというのである。Li ntawd,、生み出してしまう前に、それがどういうものになるのか、それをどういうものにすべきななのかを、いったん開発競争をスローダウンして、世界規模で考えてみようという提言がなされている。エンジニアたちは悲観的だ。「自分がやらなくても誰かがやる」「何が出てくるかは知らないが、とにかく最初に作る」「どういうものにしたいかはできてから考える」というマインドが支配的だという。人間の愚かさの結果が、もう見えるところへきているらしい。