壊して作り直す

      「満月夜」 ミクストメディア F4


 「見立て」という語がある。一本の突き立てた人差し指をエッフェル塔に「見立て」たり、丸い顔を月に見立てたり(あるいはその逆も)する、アレのこと。日本のプーチンとか、日本のトランプとかマスコミが使いたがる、あの感覚。象徴とか比喩とかにも近いが、もっと視覚的で直感的だろうか。

この絵では青いリンゴを満月に、最も実に近い部分の葉を何かがそこから羽化する、その羽根に見立てている(「絵」を説明しちゃったなー。最悪!)。「見立て」は見る側との「意味の共有」がなくては成立しない (文化的)手法であるから、必然的に、鑑賞者に対して最低限そこまでの想像力を要求することになる。
 たとえば、月と芒(ススキ)を描けば、それは「秋のことだな」との「季節感覚」を要求する。鑑賞者が日本人だけならそれも共有できる可能性はあるが、一年中砂漠とか、ススキなど見たことないという地域の人に、そんなこと言っても通じると考える方にむしろ無理がある。

この場合はどう?作者はAppleのつもりで描いているが、他の果物に見えたとしてもべつに問題はない。問題は、葉っぱが出るタイミングが、Appleが「果実」である時期と、それが腐り、栄養になって次の双葉が出るまでの「時間差を省略」していることを、鑑賞者が容認できるかどうかに賭けていることにある。鑑賞者の心理も「見立てて」いかなくてはならないってわけですね。

現代の(陸上競技の)ハイ・ジャンパーは、見る側(カメラ)にもそれにふさわしい高さで見ることを求めている。わたしもそうありたいと思いつつ、残念ながら、この絵では、そもそも作品のジャンプ力が足りず、説明的で、そのうえ迎合的だった。つまり、つまらないジャンプだということ。
 この絵にもう一度ジャンプ力を与えるチャンスは無いのか・・もう一度壊してから作り直す。それが一番早いし、それしかない。

Luam tawm los ntawm

Takashi

Takashi tus kheej blog。Yog tsis yog hais txog cov duab、Cas kuv xav txog txhua hnub、Xav tias nws、Kuv sau xijpeem los mloog。No blog yog tus thib peb tiam。Nws tau ntau tshaj 20 xyoo txij thaum pib。 2023Txij lub ib hlis ntuj 1 ntawm lub xyoo、Rau lub sij hawm tau, kuv txiav txim siab sau tsuas khib hnub。Kuv yuav xav txog cov kev taw qhia yav tom ntej thiab lwm yam。

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