空虚なすき間

「グライダー(未完)」 水彩

空虚なすき間が嫌だ。難しい話ではなく、単純にプラスチックゴミの隙間のこと。

たとえばわたしが毎日食べるヨーグルトの容器。だいたい400cc入りのが多いが、一度に200ccずつ食べるので、2日に1個容器がゴミになる。紙の容器なら潰してしまえるが、中には硬い、しっかりした容器がある。この頑丈さが何かに転用できるならいいのだが、捨てるとなると、その内側の空間が嫌だ、という馬鹿馬鹿しいような話です。

そこに何か別の捨てるものを詰めこまなくては気が済まない。ぽっかり空いた空間が許しがたいのである。揚げ物のパック、豆腐や納豆のパック、お寿司などの惣菜用パック、どれもこれも許し難い隙間を見せつけてくる。なので、ハサミを入れ、ペッタンコにすると、やっと気持が納まる。Tab sis npog、家族がむしろそのことを嫌がるのである。
 家族はプラスチックごみの日、まるまると膨らんだ大きな袋を出すことを気にしない。わたしはペッタンコの小さなゴミにしたい。Tab sis npog、わたしも忙しいときはほったらかしで、徹底しているわけではないから喧嘩まではしない。

同じように、ペンケースでも、リュックでもわたしは隙間に詰め込まなくては、なんとなく気が済まないところがある。そうすると、「空虚なすき間を無くす」ことはできるけれど、全体を小さくしたいという本来の欲求と矛盾してしまう。ペッタンコのリュックを背負うのがなんだか心もとない気がするのがその理由である。そんな矛盾した感覚は、生活や文章などにも反映しているかもしれない。ダラダラした、中身の薄い情報、文章は嫌だ(といって、中身の濃い情報や文章ができると言っているわけではない)。
 一方で、絵画や彫刻、建築などの芸術空間はもちろん、生活空間にモノを詰め込むことには苦痛を感じるのだから、わたしの頭の中はずいぶんと自分勝手だとも思う。Tab sis npog、たぶんわたしは特殊ではない。どころかおそらく、きっとそういう人の方が多いのではないか、とさえ考えている。赤信号みんなで渡れば怖くない、と安心しているけれど。

Luam tawm los ntawm

Takashi

Takashi tus kheej blog。Yog tsis yog hais txog cov duab、Cas kuv xav txog txhua hnub、Xav tias nws、Kuv sau xijpeem los mloog。No blog yog tus thib peb tiam。Nws tau ntau tshaj 20 xyoo txij thaum pib。 2023Txij lub ib hlis ntuj 1 ntawm lub xyoo、Rau lub sij hawm tau, kuv txiav txim siab sau tsuas khib hnub。Kuv yuav xav txog cov kev taw qhia yav tom ntej thiab lwm yam。

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