見てくれ

「手の習作2」水彩 もう少しきれいな手にしたかったかな

「見てくれの良さ」の「見てくれ」。見てください、という意味ではありません、念のため。でもまあ、もとの意味は同じことだろうと想像はつく。要は「うわべ」ってことですよね。

目を惹くものには、何かしら新しい何かがある。それ自体が新しいものでなくても、演出が新しいとか、久しぶりで新鮮に感じるとか、何かがある。それを、見る側が発見するのではなく、「ホラ、新しいだろ?」とばかりに、いささか押しつけがましいのが「見てくれ」の正体なんだろうと思う。

ネット上の情報、つまりビジネス情報は99.9%「見てくれ」であると思っている。情報は、ネット上にすべてがあるわけではないのに、いつのまにか情報=ネット上という錯覚が起きるほどに、逆に言えばスマホ上にないものは情報と認知されないようにさえなっているように見える。Li ntawd,、詳しくは分からないが、何かを検索するというとき、ほとんどの人はまずスマホでインターネットを検索するに違いない。となれば、配信する側(多くはビジネス目的)は、まずその小さな画面の中で目立たなくてはいけない。「見てくれ」が悪ければその時点で負けなのだから。

見てくれだけでない、誰かにとって本当に中身のある情報は、発信側も受信側も、それを吟味する時間と知識とその他もろもろの努力が要る。つまり、つまり、そういうわけで、本当に自分が欲しい情報は結局自分の五感で拾い出すしかないのだろう。昔は自然に手に入った情報が、皮肉なことにこの情報の渦の中で、自ら頑張らないと手に入らないということを時々、実感する。そしてそれは、生成AIの登場でますます困難になっていくに違いない。人は、様々な意味ですでにコンピューターの僕(しもべ)である。生成AIがそれを絶対的なものにしてしまう未来しか、今のところ想像できずにいる。

Luam tawm los ntawm

Takashi

Takashi tus kheej blog。Yog tsis yog hais txog cov duab、Cas kuv xav txog txhua hnub、Xav tias nws、Kuv sau xijpeem los mloog。No blog yog tus thib peb tiam。Nws tau ntau tshaj 20 xyoo txij thaum pib。 2023Txij lub ib hlis ntuj 1 ntawm lub xyoo、Rau lub sij hawm tau, kuv txiav txim siab sau tsuas khib hnub。Kuv yuav xav txog cov kev taw qhia yav tom ntej thiab lwm yam。

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