発想

切り子のグラス  (CG)

発想というのはある日あるとき、突然に頭に閃くもの。Thiab、それはずっと考え続けていたバラバラなものが、急にこれまで予想もしなかった結びつき方をした瞬間。ノーベル賞受賞者たちの中にはこういう体験を話す人がいる。ノーベル賞でなくても、発明家などにも同様の体験をする人が少なくないらしい。

自分と比べるのもおこがましいが、レベルを別にすれば似たり寄ったりの体験は、誰でもある程度あるのではないだろうか。Rau lwm cov tes、あの人の発想はいつもちょっと変わっている、などということもあり、その場合は突然ではなく、普段から別回路の発想法?をもっているということになるだろうか。

わたしがいま望むのは「ノーベル賞型」ではなく、「発想法型」の発想法である。言うまでもなく、マネできそうなのはそちらしかないからだが、そう思っていろいろ調べたり、考えたりしていると、発想(法)云々は実は発想の問題ではなく、単に「考えること」なのではないかという気がしてきた。Tsis ntev、「考えない人」から見れば「考える人」がユニークな発想に見えるだけなのではないか、天才的な発想というのは確かにあるだろうが、一般的にはそういうことがほとんどなのではないか、と思えてきたのである。

考えない人などいないだろ!お怒りはごもっともです。Tab sis npog、まともに、とか論理的あるいは合理的に、とかあるいは科学的に等々、少し限定すると急にその怒りも鎮まるように思う。何が大切で、そのためにはどうするのか、どんな方法があるのか、それを自分でどうやるのか、そんな筋道を「普通に考える」ことのほうが、案外「ユニーク」と考えられているのではないか。「考えること」は「思う」こととは違う。考えるためには知らなくてはならないし、知るためには学ぶ・調べる・経験するという「行動」が要る。わたしが「考えない人」のど真ん中にいる理由はこれだな。ナマケモノなんだ。

Luam tawm los ntawm

Takashi

Takashi tus kheej blog。Yog tsis yog hais txog cov duab、Cas kuv xav txog txhua hnub、Xav tias nws、Kuv sau xijpeem los mloog。No blog yog tus thib peb tiam。Nws tau ntau tshaj 20 xyoo txij thaum pib。 2023Txij lub ib hlis ntuj 1 ntawm lub xyoo、Rau lub sij hawm tau, kuv txiav txim siab sau tsuas khib hnub。Kuv yuav xav txog cov kev taw qhia yav tom ntej thiab lwm yam。

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