
ラジオから流れた、懐かしい由紀さおりの歌詞を聞いて驚いた。♪「死んでも貴女と~」のあとに続く歌詞。当時は何度も聞いていたのに、その内容に全然気づいていなかった。
先日の妻との「ガン保険」についての会話を思い出す。「私だけ保険に入っているのは不安だよ。君がガンになっても同じように、いやそれ以上に困るんだから」。「私は大丈夫。保険で対応できる部分は決まっているけど、実際ガンになればそれ以外の個別の痛みや何かが必ず出る」「私にはその時々に応じて対応できるお金があるから、保険には頼らない」「あなたにはお金が無いから(最低限の)保険をかけている。心配はあなた自身だけ」。
Kuv tau remenbered lub comversation kuv poj niam nyob ib ncig ntawm tus mob. “Kuv yog lawv xav tshuaj. Muaj ntau ntau hom mob cancer deseases yog kuv muaj nws, Kuv to taub hais tam sim no” nws txawm hais tias. “Thiab kuv muaj kuv cov nyiaj mus rau nws, li ntawd, koj tsis muaj yuav txhawj. Tab sis kuv paub tias koj li nyiaj yog tas. Koj yuav tau saib xyuas koj tus kheej” . Nws yog lub realist.
家族を心配する義務が私には有ると思っていたが、逆に心配されて、しかも既に別枠になっていたとは。Tab sis npog、Zoo、それは当然と言えば当然かも。お金を追及しない人にお金のことを依存しないのは当たり前か。子どもに聞いたら、「いま急に死なれたらちょっと困ることがあるかも」。子どもも、もう私の死後に備えているらしい。そう言えば、今年のお盆。2歳下の友人に数十年ぶりに会ったら「長生きしろよ」と言われ、その言葉自体にショックを受けた。自分の存在はそんなものだったのかと確認した夏だった。