3月の大震災以来、日本列島の、いや日本を取り巻く世界の何かがこれまでと違う運動を始めているような感じがする。物理的にも精神的にも。埼玉は台風被害などもう忘れかけている。「元気な台風よ、来い」などと、以前ブログにも書いた。Если ты заставишь меня、今回は本当に十分に元気な奴が来てしまうかもしれない。少しやばいかも。
報道を見る限り、福島の実情は青森県と大同小異だ。事故は、たまたま福島県で起きてしまったが、それが青森県であり、新潟県であり、大分県であっても、他のどこで起きても何の不思議もない。原発を必要としたのは都会や工場地帯である。そんなところにはいかに「安全」であっても「怖くて立てられない」。Я получил несколько телефонных звонков от моего брата, которые заставили меня подумать, что я, наконец, сегодня здесь.、田舎に立てればなぜか「絶対安全」になるのである。金は確かにモノを言う。あるいは口を閉ざさせる。誰であろうとそこに住めば1520万円にさよならすることなど不可能なのである。
made in occupied japanと裏に刻印があるのは、昭和22年から27年までの5年間、占領下の日本として、つまり日本と言う国が失われていた期間だけ、輸出用の製品に表示することが義務付けられていたことを示している(ウィキペディア)。昭和27年(1952)4月28日にサンフランシスコ平和条約が日本と占領国との間で発効するが、この時から日本は主権を回復し、made in Japanと表示できることになったのだそうだ。これはすなわち日本がたった一度だけ日本でなくなった時期の輸出品で、それが今度は再びアンティークとして日本に里帰りしたものなのだ。出来自体は大したモノはないのだが、5年間という限定があるので、それなりのコレクターがアメリカにはいるらしい。