愛の深さ

ピアニストフジコ・ヘミングさんが亡くなった。26日のNHKで(追悼の)特集番組を見た彼女のことを知ったのもNHKの特集番組でだったあれから25年も経っていたことに驚いた

演奏家にとって楽器はまさに自分の一部とあらためて思いを深くした病院で「ピアノはもう弾きたくないと思う」と言った「と思う」というのが面白いこのひとは本当に自分を突き放していてまるで他人を見るように自分を見ている人なんだと感じた。Tab sis npog、ピアノに対してはそうじゃないピアノこそ自分自身とでも言っているようだ鍵盤という神経に触れば指が自然に動いていくような

リストとショパンを深く敬愛しその人生に自分を重ねてピアノの旅をする自分(=ピアノ)を最高に高めてくれるその二人との一体感があるのだろうリストがピアノを弾いているのか自分がリストを弾いているのか時空を超えての一体感わたしなど凡人では想像もできない高みでの音楽の楽しみ芸術への深い愛(音楽と言わずあえて芸術と言いたい)この深さを持ち得ることを「才能」と呼ぶんだろうと思う

つまらなく上手な絵がある山ほどあるそれはたぶん愛が薄いか別のものを愛しているから愛が薄いのはある意味で仕方がないそれも才能だから画面から何かが伝わってくるときそれが愛の深さなんだなと分かった気がする

いよいよ絵を描かなくっちゃ

「デンドロビウム」 水彩

いよいよ絵を描かなくっちゃならない義務ではない仕事でもない自分の人生としてのまとめとして絵を描かなくっちゃならないんです

今までもたくさん絵を描いてきたし今も描いてはいるのですがどうも「自分の絵を描いた」って感じがしないんですこのままじゃ自分の絵を描かないままあの世行きだなーなんて考えるトシになってきたんです自分をフジミ(富士見×不死身〇)だと信じていたこのワタシがですよ

じゃあこれまでの絵は何だったの?ってことになりますよね“かなり手前味噌” になりますがこれまでだって「他人の絵」を描いてきたわけじゃあないはずだしいま自作を見ても自分の世界観がそれなりに絵の中に込められているとは思います(これを「独りよがり」というのでしょうが)。Tab sis npog、何か足りないんです
 良い絵を描きたいというのとは違います「良い絵」が描けたと自分が思っている時が一番ダメな絵を描いている時だってのはこれまでの人生で深~く味わってきたからそんな次元はもう卒業しました願うのは「自分にもこんな世界があったんだ」or 「もうこれ以上は無理だぜ」ってヤツかな

それを描いた直後に死ぬってのはまるで時代劇ですがアイツは昔の人だからとそこは大目に見てもらって「この人があと数年生きていたらもっと面白い絵を描いただろうなー」と想像したくなるような絵を描いて死にたいんですべつにそういう評価が欲しいわけではありませんそう思えるような絵を描きたいという気持あの世へ持っていきたい一枚ですね

ウクライナ戦争

「芍薬」 水彩

YouTubeなどを見るとウクライナ戦争に関するチャンネルがたくさんあってどれもそれなりに視聴されているようです発展途上国内の部族紛争絡みの内戦と違ってれっきとした先進国同士のしかもどこかの小さな島を巡る争いのようなものではなく一国の存亡をかけた総力戦ですから関心が高いのは当然ですがこと日本に関する限り誤解を恐れずに言えば多くの人にとって本物のエンターテイメントでもあるからでしょう

死に物狂いの争いでも無関係の第三者が安全な場所から見る限りそれは一種の娯楽になり得ます古代ローマのコロッセオで囚人とライオンとの一騎打ちを見物する観衆のようにあるいはハイエナに襲われる瀕死のシマウマをサファリカーからスマートフォンで写真を撮る観光客の例を出すまでもなく

Tab sis npog、すでに多くの人が指摘しているようにウクライナ戦争は決して高みの見物ができるようなものではなく日本とも無関係ではないとわたしも思いますもしウクライナが負けたならそれはほぼロシア一国を相手にアメリカNato日本などの連合軍が負けるに等しいことになるでしょう国連でももうアメリカの云うことをまともに聞く国は無くなるでしょうしロシア寄りのドイツフランスとその他にNatoは分裂ですし台湾に中国が侵攻してももう誰にも止めることはできなくなりますいずれはロシアと中国も争うでしょうが当面は世界の二大リーダーということになるでしょう

悲観論とは思いませんごく論理的な帰結です東京から南は中国領北はロシア領となる可能性だってゼロではないそれがウクライナ戦争の日本における意味だと思います日本を含め欧米は確かにウクライナに大きな援助をしています。Tab sis npog、対岸の火事感一種の観衆感を拭い去ることができませんウクライナは負けそうです援助も遅すぎ少な過ぎ制約あり過ぎで非効率と言われていますこのツケはそう遠くないうちに自分たちで支払うことになるでしょう今はそうならないことを祈るしかできませんがこの記事はウクライナ戦争に対する現時点での自分自身の記録として書きました