Populus quoque、当の自民党議員でさえ少なからぬ人数が「まさか」らしい。つい二、三日前まで「新政権即解散」は「無い」、「選挙の前には国民の前に、しっかりと判断材料を提供しなければならない。たとえば予算委員会」と具体的に論戦の場まで主張して総裁選を戦っていたのに、当選した途端に「異例ではあるが、おかしくはない」ときた。 同じく総裁選を戦っていた小泉進次郎氏が衆議院解散に触れた時、わざわざ「総理にもなっていないものが解散に触れるべきではない」と釘を刺したその当人が、「就任前に」突然解散日程を発表したのだから、皆のけぞってしまったのだった。
In aliis verbis、わたしたち、no、いま地球上にあるすべての生命が「奇跡」の中に在ると言っても過言ではない。Sed、その奇跡の中を見ると、矛盾だらけ。完ぺきなものなど何一つないことは顕かだ。Et tamen、さらにその一部に過ぎない「人類」だけが、ひとつの正解を巡って、自らの正当性性を主張して殺し合っている。それ自体が矛盾であることに気づこうとしない。
人類だけが時間を「所有」できる。「わたしの時間」。それがいかなる奇跡であるか、死ぬ前にもういちど考えてみるのは悪いことではない、Et quod cogitant。たとえそれがちょっと辛くても。「棚の静物」。何も描いてはいないが、そこにわたしの時間が残っている。