Seki-Juku rooj vag 2 / dej rooj vag ntawm Sekiyado

Seki-Juku sluices-2 (tsab) watercolor
Seki-Juku sluices-2 (tsab) watercolor

またまた関宿(せきやど)水門リハビリのためとしては現在の体力から云えばほぼ限界点?行く前に気象と気分を考える最近の気象は異常が普通いくら「飛ぶ男」でイカロスを描いたって自分が途中で竜巻に遭って江戸川に墜落なんて笑い話にもならない体調はある程度走ってみないと(自分の身体なのに)案外判らない中間点でその先へ行く気があるかを確かめる

今日(9/13)は夕方5時近くに出かけたので帰宅は6時半近くこの時間帯になると犬を連れた女性が多く散歩し始めるスピッツを連れた白いパンツの若い女性を振り向くとスピッツとそっくりのお尻飼い主は犬に似ると言うが背面では本人も解るまい(ごめんなさい)一時爆発的に流行しながら今はほとんど見かけなくなったハスキー種の犬を連れている人もいるあれだけいたハスキー犬は皆死んでしまったのだろうか?横歩きステップなどしながら自身のシェイプアップ中ずっと犬を抱いている女性(時には男性もいるがなんだか気味悪い)犬はダンベル替わり?

話題がそれた。Sab xis、水の流れだ女性の話題に流れてはいけないぞ描いていると水面がいくつかに割れていることに気付くある部分は沈み込みある部分は水底から湧き上がる水面は平らではなく上下運動をする水が生き物のように見える理由だろう

Healing dej thiab tej dej Healing

Seki-Juku sluice dej watercolor 2014
Seki-Juku sluice dej watercolor 2014

リハビリのつもりでおばチャリ自転車(買い物用)で関宿城まで行く往復でも20㎞以下だからまあちょうど良い距離一時間半くらいかかる私なりには一生懸命だが鍛えられたランナー等には全然敵わない土手道で明らかに私より年長だと思われる「自転車おばあ」(敬意と羨望の混じった私的敬語)も「すいませーん」とか言って私の脇を軽く抜いて行く「オレの自転車は買い物用だからな」と言い訳しながら「おばあ」のお尻を一生懸命追いかけるが遠ざかるばかり

汗びっしょりで関宿城に着くころ既に休息と優雅なデザートを終えた「自転車おばあ」がカッコいいサングラスを着けて私とすれ違うクヤシー!などと悶えないことにしているおばあが元気な時代なのだ

関宿城のすぐ脇に水門があるここ(江戸川)の水流を見るとおばあに負けた傷心が癒される自宅前の川のチマチマした水量に比べある意味でさすが江戸を潤した水量は違うゆったりというかたっぷりというかウーンというかその水量を(うれしく思いながら)とりあえず描いてみた

Yog koj tsuas txhawj thiab saib xyuas yog vim koj tus kheej, los sis.

 

Surprise rau F6 watercolor (hnov)
Surprise rau F6 watercolor (hnov)

ラジオから流れた懐かしい由紀さおりの歌詞を聞いて驚いた♪「死んでも貴女と~」のあとに続く歌詞当時は何度も聞いていたのにその内容に全然気づいていなかった

先日の妻との「ガン保険」についての会話を思い出す「私だけ保険に入っているのは不安だよ君がガンになっても同じようにいやそれ以上に困るんだから」「私は大丈夫保険で対応できる部分は決まっているけど実際ガンになればそれ以外の個別の痛みや何かが必ず出る」「私にはその時々に応じて対応できるお金があるから保険には頼らない」「あなたにはお金が無いから(最低限の)保険をかけている心配はあなた自身だけ」

Kuv tau remenbered lub comversation kuv poj niam nyob ib ncig ntawm tus mob. “Kuv yog lawv xav tshuaj. Muaj ntau ntau hom mob cancer deseases yog kuv muaj nws, Kuv to taub hais tam sim no” nws txawm hais tias. “Thiab kuv muaj kuv cov nyiaj mus rau nws, li ntawd, koj tsis muaj yuav txhawj. Tab sis kuv paub tias koj li nyiaj yog tas. Koj yuav tau saib xyuas koj tus kheej” . Nws yog lub realist.

家族を心配する義務が私には有ると思っていたが逆に心配されてしかも既に別枠になっていたとは。Tab sis npog、Zoo、それは当然と言えば当然かもお金を追及しない人にお金のことを依存しないのは当たり前か子どもに聞いたら「いま急に死なれたらちょっと困ることがあるかも」子どもももう私の死後に備えているらしいそう言えば今年のお盆2歳下の友人に数十年ぶりに会ったら「長生きしろよ」と言われその言葉自体にショックを受けた自分の存在はそんなものだったのかと確認した夏だった