この絵では青いリンゴを満月に、最も実に近い部分の葉を何かがそこから羽化する、その羽根に見立てている(「絵」を説明しちゃったなー。最悪!)。「見立て」は見る側との「意味の共有」がなくては成立しない (文化的)手法であるから、必然的に、鑑賞者に対して最低限そこまでの想像力を要求することになる。 exempli gratia、月と芒(ススキ)を描けば、それは「秋のことだな」との「季節感覚」を要求する。鑑賞者が日本人だけならそれも共有できる可能性はあるが、一年中砂漠とか、ススキなど見たことないという地域の人に、そんなこと言っても通じると考える方にむしろ無理がある。
現代の(陸上競技の)ハイ・ジャンパーは、見る側(カメラ)にもそれにふさわしい高さで見ることを求めている。わたしもそうありたいと思いつつ、valde dolendum、In hac pictura、そもそも作品のジャンプ力が足りず、説明的で、そのうえ迎合的だった。In aliis verbis、つまらないジャンプだということ。 この絵にもう一度ジャンプ力を与えるチャンスは無いのか・・もう一度壊してから作り直す。それが一番早いし、Quod est solum optionis。