
斎藤兵庫県知事のパワハラ(パワーハラスメント)を巡って、Instrumenta quoque、女子会なども盛り上がっているようだ。そこへ維新が知事に辞表を出すよう申し入れた、との報道があった(NHKなど)。
馬鹿じゃないだろうか、と呆れる。維新にもマスコミにも、is。パワハラが実際にあったかどうかの判断は担当する機関に委ねるとして、まず確認しておかなくてはならないことは、知事が知事である理由は県民が投票したからである。知事の進退は、投票してくれた県民に対して判断されるべきもので、いかに維新出身の知事であろうと、維新の意向でどうこうすべきものではなかろう。単純に、次に予想される衆議院選挙にマイナスになるという思惑の見え透いた、浅はかで間抜けなポーズである。
simul、マスコミの辞任圧力には、こちらこそ社会的パワハラそのものではないか、Et quod cogitant。報道のあるべき姿だとは到底思えないが、NHKはじめ、自分だけが正義とばかり、世論誘導する姿を往々にして見なければならないことは、本物の報道機関を失ってしまった国民の一人として情けなく、恥ずかしささえ感じる。
維新がやるべきことは、自分たちが応援した知事の不祥事(だと思うならば)に対し、上から目線で辞任要求することではなく、まず投票してくれた県民にお詫びすることでしょう。票を投じてくれた県民の頭ごなしに辞任要求するなんて、県民に対するむしろ侮辱とさえ感じられる。維新なんてこの程度だ、と自ら公言しているようなものではないか。
斎藤知事に希望することは、辞任せず、逃げ回り、出来るだけ多くの膿を出し切ること。自らの膿も、庁内、維新の膿も、マスコミの膿も。言葉は悪いが、これからの政治のための犠牲者になってもらいたいということ。一般人ではできない、特別の人だからこその、汚れ役になってもらうことが、一時の県政より有意義なことかもしれないと、勝手ながら思う。feliciter、知事は辞任要求を拒否したらしい。