明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

omnis、明けましておめでとうございます。Oro ut hic annus omnibus probus annus sit.。me quoque、Nunc enim satagere velim ad id quod proximo anno facere non potui.。quaeso、Gratias tibi。

Hoc anno Novus Annus Dies、Cum in oppido ubi habito paulum ventosus est;、Relative calidum (minimum temperatus 2℃)、(Prospicere minimum temperamentum 12℃) Tranquilla et serenum caelum。Dorsum meum sentit etiam、Non enim adtemptatur vel、Prima productio anni post meridiem、Cogito sumendi a photo。

Reus sentire solebam de susceptione novi anni intercluso.、Quotiens ad opus perrexi, vulturis verbis occurram, dicens, `Quomodo audes in Novo Anno operari?'、His annis praeteritis admodum senex factus sum.、Coepi quiesco ut cetera mundi.。Non est quod quicquam mali cum intermissione accipias.、Intellexi rem tuam magni momenti esse decernere.。Pedometer meus altilium heri mortuus est.、Ego iustus reposui cum novo.。hic imus、Primus gradus Et sumam。

Errores - 2023 Summarium

今日はこの雪景色を描いてみようと思っています青森県むつ市の風景です

今日で2023年が終わる明日から2024年が始まるといってもわたしのアイデンティティの何かが急に変わるわけでもない。nihilominus、2024年の12日31日には「一年前とは○○が変わったなあ」と思えるようになりたいと新年への抱負を、nunc、語っているところです

今年一年を振り返ってみると多くの「勘違い」「思いこみ」に気づいたことだった「情報収集能力が低い」というのがいまふうの言い方だがそれに気づいただけでではどうすればその能力を高められるのかという方法については分からないまま。Igitur、来年も勘違い人生の継続か?うーんそうなるかもしれん知らんけど

現代はどこにでも知りたい情報が転がっていて検索の仕方さえ正しければ誰でもそれをゲットできるとよく聞く。ego、そもそもそのことを信じることができない古い人間であるある部分では経験と直感しか信じないところがある
 ならばどんどん何でもやってみて経験智を増せばいいはずだが行動に関してはとても引っ込み思案である田舎っぺのマイナス面がこんなところに顔を出す―要するに何もしない―そしてそれまでの乏しい知識・経験だけから自分勝手な結論を導き出してそれに乗って行動するわたしの勘違い行動様式はそうやって出来ているそれを思い知ったのが今年一年というわけです

わたしは基本的に無知だ他の多くの人と同じ程度にそのうえ怠け者だ他の多くの人とほぼ同じくらいにそれなのに安易な希望と楽観を持っている他の人よりちょっと多めに―それが勘違いというもの「他の人」とはどういう人かそれを知らないんだなあ知らんけど

滑り込みセーフ?そんなレベルじゃなかった

やっと1本年末に間に合わせてアップできたやっとこれから年末の用事が始められる

YouTubeの動画作りに昨年8月頃から力を入れてきたつもりだったが自分が全然へなちょこだということも少しずつ分かってきた分かる人にはそんなことはすぐピンとくるのだろうけれどわたしは鈍いというか変な自尊心があってそういう事実から眼をそむける習慣ができてしまっているのだろう変則的な意味で「目から鱗が」溶け始めてきたらしい(どうりでしばらく目が痛かった)

来年はもっとちゃんとやるぞと今この時点では思っている(明日になれば判らない)とりあえず今から溜まっている用事(他人から見ればどうでもいいことばかりだと思うけれど)を明日中に片づけなければ・・。Ille est cur、今日はさようなら