クールベ「世界の起源」(オルセー美術館)

フェイスブックを一人のフランス人が「表現の自由」を侵害したと訴えている(そういう訴えは毎日夥しい数になる筈だが)フェイスブックがその個人のアカウントを「ポルノ拡散だ」と判断閉鎖したからだがその裁判をアメリカ・カリフォルニアでやるかフランスでやるかのどこでやるかが焦点になっているらしい訴訟を持ち込まれたフランスの下級裁判所では(いかにもフランス的に)「この裁判は『当然』フランスで行われるべきだ」

フェイスブックの言う「ポルノ…」は単なる理由づけに過ぎない現に同じ画像がフェイスブック上にいくらでも見られるからだしその程度のポルノなら現状「お子様ランチ」レベルにも達しない主題はやはりフェイスブックの「アカウントの同意事項」優位か提訴受理国の「裁判権」優位かにあるようだ

私の興味は少しずれて問題提起の仕方とその対処法にあるアメリカ人とフランス人の想像力の違い(優劣の差ではなく)が垣間見えてその推移がお酒の絶妙な「つまみ」になる(旧大陸《ヨーロッパ・経済力↓》と新大陸《アメリカとカナダ・経済力↑》と文化の厚みの違いはソーセージの造り方の違いにもよく表れている)

సైడ్ నోట్ గా、大げさなタイトルの「世界の起源」という作品はただの女性器を画面の中央に少しだけリアルに描いたというだけの観念的なものだが当時のフランスではとても発表などできる環境ではなかったらしい日本では浮世絵版画が一般にも容易に手に入るだけでなくその表現もいっそう誇張されほとんど遊び感覚に近くなって貴人庶民男女を問わずその表現自体を楽しむという現代以上の芸術的レベルに達していた(写真の絵は本文とは関係ありません)