
昨日、埼玉県幸手市の県営権現堂公園へ満開の曼珠沙華を見に行ってきた。今が最高の見ごろ。過去何度か観に行ったことがあるが、その中では今年が最高。その写真を載せたいが、先日と同じアクシデントを繰り返し、お見せすることが出来ないのが本当に残念。いったいこの iPhone と Windows との相性の悪さをどう処理したらいいものか。
葡萄の絵は「水滴」シリーズ?の最新作。とりあえず、次は別の絵を描かなくては。

昨日、埼玉県幸手市の県営権現堂公園へ満開の曼珠沙華を見に行ってきた。今が最高の見ごろ。過去何度か観に行ったことがあるが、その中では今年が最高。その写真を載せたいが、先日と同じアクシデントを繰り返し、お見せすることが出来ないのが本当に残念。いったいこの iPhone と Windows との相性の悪さをどう処理したらいいものか。
葡萄の絵は「水滴」シリーズ?の最新作。とりあえず、次は別の絵を描かなくては。

秋らしい、కాని、ちょっと変わったものを描いてみたい、と言ったら妻が渡り蟹を買ってきた。よく味噌汁とか鍋の出汁に使われる、安物の蟹である。身があまりない種類なので、それくらいしか使い道がないのだろう。
スケッチの材料としては「味噌汁の出汁」よりずっと価値があるが、主婦たちはスーパーで見慣れているせいか、ほとんど価値観を感じないらしい。高価で、ちょっと手が出ない松葉ガニとか、毛ガニなら、描いたものでも高級感があるのかもしれない。
なんでもそうなのだが、見慣れているからと言って、スイスイ描けるものではない。毎日自分の顔を鏡で見ていても、描けと言われてサッと自画像を描けるものではなかろう。見るのと描くのでは大違い。色もかたちもなかなかにシャープで、描きごたえのある素材なのだ。
味も馬鹿にしていたが、あるとき弟が、津軽海峡のワタリガニの刺身を食べた、と言ったことがある。ものすごくオイシイ、ఇది అలా అనిపిస్తుంది。彼は下北半島に住んでいて、海産物に関しては鮮度といい、種類といい、飛び切り上質のものに囲まれている。彼も、それまではワタリガニなど小ばかにしていたようだったが、食べてみて驚いたという。そもそも刺身にできる量の身があるのか、と訊いたら、やはり二回りほど大きいという。それなら、あり得るかも。以来、わたしの耳から離れない。

急に秋の気配になった。「暑さ寒さも彼岸までといっても、この暑さはとうぶん続くだろう」と思っているうちに、ぴったり彼岸まで、ということになった。
スーパーにも秋の味覚が並ぶようになった。この葡萄は実は巨峰という種類の葡萄だが、農家さんが作ったものではないので、あのような黒さにならないようだ。あの黒さを創り出すのは、さすがに農家の力というものだろう。కాని、聞くところによると、今年は日射熱が高過ぎて、色落ちというか、この絵のような葡萄が多くなったそうだ。ちなみに味は黒いものと変わらないらしい。
水彩教室で「秋らしい静物」を描いてみよう、なんて言ってるうちに、いつの間にか「水滴特集」になってしまった。「水滴」の表現は、14世紀ごろの画家たちにとって、腕の見せ場でもあったらしい。フランドル(現在のオランダ)の画家ファン・デル・ウェイデンが、十字架から降ろされたイエスを抱くマリアの涙を描いたのが、ヨーロッパ中の画家の注目を集めたのだという。
その「透明」の表現が画家たちを魅了し続けてきた。同時代のファン・アイクの、恐ろしいほどの「宝石」を投下する透明な光。当時やっと普及し始めた透明のガラス窓を、絵の中に積極的に取り込んだ17世紀フェルメールまで。今でも「透明感」のある絵は人気がある。絵画の黄金時代、スタートは涙という「水滴」だった。